沿革 沿革

沿 革

平野ボート 100年の歴史

~今までも これからも 横浜の海と共に~
今までも これからも 横浜の海と共に

平野ボート / ヨコハママリーナは、明治の頃から海の仕事を行ってきました。
さまざまな歴史を超えて創業から100年経ちましたが、
これからも海を愛する全てのみなさまに愛されるマリーナを目指します。

明治45年3月、横浜市大岡川にて、
創業者 平野 倉吉が貸しボート屋「ひらの屋」を創業。

創業者 平野 倉吉
1859年に開港を迎えた横浜では、シッピングチャンドラーと呼ばれる外国人商人が、川沿いで、水上マーケットを開き、手漕ぎのボートで、様々な品物を売りにきていました。

この手漕ぎボートに目をつけた、横浜港の水先案内人をしていた弊社創業者 平野倉吉は、苦心の末、当時大変珍しかった手漕ぎボートを外国人から手に入れました。
そして明治45年(西暦1912年)3月、横浜市大岡川にて、貸しボート屋(手漕ぎボート)「ひらの屋」を創業をします。

まだ水上レジャーという概念がなかったこの時代、ボートは「バッテラ*」と呼ばれ、ボート遊びは大変な驚きを持って、人々 に迎え入れられました。

*ポルトガル語で「小舟」を意味する bateira(バッテイラ)から

大正5年、本牧三渓園海岸にて「ひらの屋」再オープン。

「ひらの屋」再オープン
しかし、1917年、9月30日に沼津付近に上陸した東京湾台風は、関東地方から仙台まで、集中豪雨をもたらし、倉吉が苦心の手に入れた最初のボートも海へと流されてしまいました。これに懲りた倉吉は、大岡川から本牧三渓園海岸に場所を移し、大正5年(西暦1917年)、貸しボート屋「ひらの屋」を再オープンさせました。

現在、本牧三渓園前は埋め立てられてしまいましたが、当時、本牧海岸には、美しい海岸線が広がり、日本でも有数の景勝地でした。

また東京~桜木町間の汽車開通により、東京から訪れるハイカラさんや外国の人達の間で、本牧海岸は、瞬く間に人気のスポットとなりました。

三渓園前にオープンさせた倉吉の「ひらの屋」も横浜の海岸沿いの賑わいと共に、順調な発展を遂げていきました。

昭和3年5月、平野 清治が、代表に就任。
伊勢佐木町入り口・吉田橋にも、店舗を拡大。

平野 清治が代表に就任
倉吉の息子 平野 清治(現代表 平野清美の祖父、倉吉の息子)が代表に就任し、貸しボート屋「ひらの屋」に併設して、海水浴客にかき氷や料理を提供する海の家をオープン。また同時期に、外国製のヨットの取り扱いを開始し、レンタルを始めます。

ヨットの帆にアイスクリームメーカー明治製菓(現 株式会社明治)などメーカーの名前を入れた当時としては珍しい交通広告を取り入れ、店は大変繁盛しました。

これに伴い、この頃の横浜の中心地であった、中区伊勢佐木町入り口吉田橋にも、貸しボートの店舗を広げました。

夏季は、横浜内外から多くの人が訪れ、新聞に取り上げられるほど人気を博しました。

太平洋戦争

しかし、太平洋戦争が横浜全体に暗い影を落とします。
1945年5月29日の昼頃、B-29爆撃機517機・P-51戦闘機101機による焼夷弾攻撃で、横浜は焦土となりました。
約8000~1万人の方が亡くなったそうで、戦時中は「ひらの屋」も休業を余儀なくされました。

しかし、戦争が終わると、戦後の復興と共に、人々はまた横浜の海でレジャーを楽しむようになり、
本牧の海岸、そして「ひらの屋」も徐々に活気を取り戻していきました。

昭和37年10月、有限会社平野ボートを設立。
プレジャーボート、業務艇の拡販へ。

有限会社平野ボートを設立
昭和37年10月、横浜市中区伊勢佐木町1-1に(有)平野ボートを設立。

この頃、日本国内でボートに取り付けるエンジン船外機が、輸入されるようになりました。
平野ボートでも、いち早く(株)ヤナセを通して、輸入されたEvinrudeやjohonsonなどの輸入船外機と国産メーカーのヤマハ発動機やトーハツのエンジンの取り扱いを開始し、
主に漁業を生業とする漁師さん達へ船外機の拡販を行いました。

その後、ヤマハ発動機(株)神奈川総代理店となり、海上保安庁、神奈川県警察本部、横浜市消防局、港湾局、民間企業などへの小型船舶の販売、修理業など、横浜のプレジャーボート、業務艇の拡販を担います。

昭和47年5月、平野ボート/ヨコハママリーナとして、現在の地、新杉田へ移転。

新杉田へ移転
新杉田に移転後、小型船舶免許教室が開講。
横浜市の指定実技試験会場となりました。
また、マリーナ内に和食・フランス料理のレストランがオープン。
23Ftまでのボートを収納する立体艇庫が設置され、横浜におけるマリンレジャーの中心となりました。

現在

現在
現在の主な業務は、プレジャーボートの販売、卸、艇の陸置、修理、会員制レンタルボートの運営、小型船舶免許教室、横浜をコンセプトにした「横浜ワイン」の販売などを主に営業を行っております。
また、海上保安庁・神奈川県警察・横浜市などの艇も修理、メンテナンスを請負っています。
株式会社平野ボートは、創業以来、常に横浜の海と共に歩んで参りました。
「より多くのみなさまに、安全に楽しく、海で遊んでいただきたい。」
それが創業以来の平野ボートの変わらぬ願いです。
これからも横浜の海と共に歩み、みなさまのマリンライフを全力でサポートいたします。

免許教室から会員制ボートクラブ、ボートの販売やお預かり・修理まで、
プレジャーボートに関するさまざまなニーズにお答えいたします。
スタッフ全員がオーナー様のお顔を把握し、
真心込めて、親切・丁寧に対応させていただきます。

ホームポートとして、ぜひご利用くださいませ。

表彰歴

平成02年07月
横浜海上保安官部長 表彰(海上安全指導員)
平成03年07月
第三管区会場保安本部長 表彰(海上安全指導員)
平成04年07月
海上保安庁長官 表彰(海上安全指導員)
平成08年07月
横浜海上保安部長 表彰(海洋汚染防止)
平成11年03月
神奈川県警察本部長 表彰(防犯功労)
平成11年07月
第三管区海上保安本部長 表彰(海上環境保全推進員)
平成11年11月
日本赤十字社より社資寄付による表彰(海上環境保全推進員)
平成14年07月
海上保安庁長官 表彰(海上環境保全推進員)
平成16年11月
海上保安庁長官 表彰(海上安全指導員)
平成22年11月
神奈川県警察本部長 表彰(日本APEC首脳会議開催に伴う海上警備功労による感謝状)
平成23年07月
海上保安庁長官 表彰(海上保安友の会 三管監事)
平成24年04月
横浜商工会議所より創業100周年企業顕彰
平成26年02月
神奈川県知事より、神奈川県優良産業人(前 代表取締役 平野 茂)として、表彰
令和03年
横浜市磯子区長より永年地域発展と向上に尽力した事により感謝状
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