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都心から30分!ボート免許・陸置き保管のヨコハママリーナ |
沿革
平野ボートの沿革
明治45年(西暦1912年) 本牧三渓園海岸で創業
当時本牧三渓園前は砂浜で、
夏期には多くの人々が憩う海岸でした。
東京−横浜間を結んだ汽車により
東京から訪れる人も多かったということです。
みなとみらいの汽車道は有名ですが、
この汽車がUターンというか、
船でいう「その場回頭」をした装置が今も本牧市民公園に展示されています。
この三渓園前の海岸で貸しボートを始めたのが
今のマリンクラブの原型、というのは冗談ですが、
とにかくまだモーターボートのない時代のことですから、
当時、特に東京から訪れるハイカラさんや外人の方に
ローボートはとても人気だったそうです。
昭和03年 (西暦1938年) 吉田橋に移転〜
戦時中休業〜戦後のプレジャーボート出現本牧海岸が埋め立てとなったので市内吉田橋に移転。
戦時中は休業。戦中、戦後のブランクを経て、
やがて戦後の復興がはじまると人々は再び海でレジャーを楽しむようになります。
このころには日本にも船外機が伝搬(?)し、
漁師さんも船外機を使うようになったことから
船外機の需要が一気に広がり、
国内にも船外機やプレジャーボート産業が現れるようになりました。
船外機は当初は Evinrude, Johnson(ヤナセ扱い)などの輸入品を、
国産船外機の搭乗後はトーハツ、
ヤマハさんの商品を扱うようになりました。
昭和34年 (西暦1959年)
伊勢湾台風時に名古屋市長から表情を受ける被災地支援の一環としてボート120隻を名古屋市に送りました。
これらのボートは冠水した地域の被災活動に役立てられたとのことで、
同年、名古屋市長より感謝状を受けました。
昭和47年 (西暦1972年)
新杉田に移転吉田橋に高速道路湾岸線が架かることになり再び
磯子区新杉田に移転。現在に至ります。
現在の主な業務は
プレジャボートの販売、小卸、保管、メンテナンス、
マリンクラブの運営、ボート免許教室などを主に営業を行っております。
小卸は神奈川県全域、伊豆七島、小笠原父島など。
官公庁艇の納艇、メンテナンスも行っています。 →ヨコハママリーナのご案内
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